日本のプロ野球における外国人監督の歴史
世界のサッカー界の中で日本は後進国にあたるため、Jリーグではこれまで先進国からやってきた多数の外国人監督が指揮をとってきました。それに対して、野球に関しては日本は先進国の一つにあたるためJリーグと比べて日本のプロ野球においては海外からやってきた監督はそんなに多く存在しません。ただし、野球大国の日本にも唯一頭が上がらない国が一つだけあり、それがアメリカです。そして、世界一の野球大国であるアメリカから来た指導者であれば日本の選手達もいうことを聞くため、何人かの外国人監督が日本のチームの監督を務めたことがあります。
近代においてその先駆けといえるのがMLBの監督として活躍したのち1995年に来日して千葉ロッテの監督に就任したボビー・バレンタイン氏です。日本の良い所とアメリカの良い所をMIXした絶妙な采配が次々に的中して選手に強い影響力を持つ監督となり、同年に弱小ロッテをパリーグ2位に押し上げ、日本にボビー旋風が吹き荒れました。なお、ボビー氏は1年でアメリカに戻ってしまったものの2004年には再びロッテの監督になり2005年にはロッテを日本一に導いています。
ボビー氏の活躍以降は日本で少しずつ外国人監督が増え始め、2000年代に入ると、2003年にNYヤンキースのマイナーチームからやって来たトレイ・ヒルマン氏が日本ハム監督に就任しました。彼はボビー氏と違って指導者としての際立った実績がなかったため最初から選手に強い影響力がある監督ではなかったものの日本選手のプライドを尊重した指導法・采配にて徐々に求心力を高めていきました。その後、2006年に日本ハムを日本一に導いたほか翌年にはリーグ優勝に導く活躍を見せています。
2016年に入り、外国人監督起用に新たな流れが生まれました。それは日本球界でレジェンド的な活躍をしてきたベネズエラ人・ラミレス氏がDeNAの監督に就任したという事です。選手に敬愛される彼は長くリーグ5位・6位続きだったDeNAを積極的な打順変更や代打多用などで活性化し、素晴らしい采配にて2016年・2017年と2年連続でチームをリーグ3位に導き、日々求心力を高めています。